安楽死と尊厳死

認知症になってからでは遅い!!自分の最期と介護の希望を元気なうちに共有しよう! 介護の問題

「安楽死」

最近よく聞く言葉です。

そして、かなり議論されていますし下手にコメントすると、叩かれたりすることにもなります。

しかし、命にかかわる大事なことなのに、書かれているコメントを見ると「安楽死」に対するイメージが人それぞれであることがわかります。

将来的に、法で定めて欲しいと言うのであれば、正しい理解をしておかなければなりません。

寿命とは?

まずは、大前提として、「寿命」について考えてみます。

「寿命」とは

生まれたときに決まっているとされる命の続く期間。または、その終わり。

三省堂国語辞典

スピリチュアル的な話のようですが、「寿命」は生まれたときに終わりが決められているようです。人間は死ぬまでの期間で学ばなければいけないことが決まっているといいます。「天寿を全うする」といって、天から授かったいのちを最後まで生き抜くことが人としての使命ということでしょう。

ちなみに、

「自殺」とは

自分で自分の命を終わらせること。

三省堂国語辞典

自殺とは、寿命に逆らって人生を離脱することになります。

では、「安楽死」は「自殺」に当てはまらないのでしょうか?

「安楽死」と「尊厳死」 なにが違う?

では、「安楽死」と「尊厳死」は、なにが違うのでしょうか。

「安楽死」とは

はげしい痛みに苦しみ、しかも助かる見込みのない病人が、自分の意思で処置を受け、楽に死ぬこと。(安楽とは…楽で気持ちがいいようす。)

「尊厳死」とは

助かる見込みのない病人が、無意味な延命を断り、痛みを止めてもらいながら、人間としての尊厳を保ったままで安らかに死ぬこと。(尊厳とは…神や神聖なものの持つ、威厳)

三省堂国語辞典

ちなみに、「安楽死」には3つの種類があるそうです。

「安楽死」の種類

消極的安楽死(尊厳死)→回復の見込みがない患者に対し、人工呼吸器や胃ろうなどの延命治療を中止または行わないことで、自然な死を迎える方法。

間接的安楽死→がんなどの激しい苦痛をやわらげるために強力な鎮静剤・鎮痛剤を投与した結果、その副作用として副次的に死期が早まる方法。

積極的安楽死→医師が、耐え難い苦痛に苦しむ患者に直接致死性の薬物を投与して生命を終わらせる方法。

消極的安楽死について

「消極的安楽死」は「尊厳死」のことです。これは、今の終末期医療ではすでに行われています。患者あるいは患者の家族と医師が相談して、延命治療が必要かを決めていると思います。私の実母や叔母が入院したときに、そういう書類を書いたことがあります。安楽死問題の議論のコメントで、延命治療は辞めてほしいというのをよく目にしますが、それは医師と患者の話し合いが不足していたか、あるいは患者の家族が延命治療をお願いしたかになると思います。

間接的安楽死について

「間接的安楽死」については、患者、家族側の意思と医師の判断が一致していなければいけないようで、これも難しい問題です。患者の家族側は、とても辛そうで見ていられないから、鎮静剤で楽になってもらいたいと医師にお願いする。しかし鎮静剤を投与したことにより、すぐに眠るように亡くなってしまうこともあります。

私の父も、食道がんの末期で、最後は鎮痛剤も効かないほど苦しんでいましたが、ホスピスに入院したその日に、鎮静剤で眠っているうちに穏やかな顔で亡くなりました。母と弟が、泊まりになるからと着替えを取りに帰っている間に。看護師さんが、予定より早かったという感じで慌てていましたが、私は、穏やかな顔をしていて「楽になってよかったね」と亡くなった父に声を掛けました。

しかし、そういう感情も人それぞれです。なかには、家族としてはまだ生きていて欲しかったという思いから医療ミスがあったと疑う人もいます。そういう難しい問題があり、「安楽死」についてはなかなか議論が進まないのでしょう。

積極的安楽死について

「安楽死」問題で一番議論されているのは、「積極的安楽死」を許可してほしいということだと思います。

私は、安楽死反対派です。しかし、こうして調べてみると、私が反対しているのは、「積極的安楽死」でした。なぜかというと、自殺や自殺ほう助のことを、そういうと聞こえが悪いから安楽死という言葉に言い換えているだけだと思うからです。

健常者の私がこういうことを言うと、苦しい人の気持ちがわからないのか!とお𠮟りを受けそうですが、この私でも心が弱ってもう生きたくないと思うことはしょっちゅうあります。現実的なことを考えるとそれも難しいので、なんとか生き抜こうという気持ちを維持しているだけです。

治療が苦しい死にたい!だから安楽死させてほしい!辛いのはわかるけれど、それは生きることを放棄して、寿命を途中で断ち切ることになります。死にたいと思うほどの苦痛をなんとか緩和するようにケアするのが、「間接的安楽死」だと思います。だから、「間接的安楽死」の議論をもっと深めていった方がいいのではないでしょうか。

安楽死についての過激な意見について

あと、たまに見かけるのですが、「高齢になったら迷惑だから安楽死させたほうがいい」「税金の無駄だから高齢者は安楽死だ!」などとコメントしている人がいます。中には「認知症になりたくなから死なせて」という人も。しかも、けっこう多いんですよね。認知症になりたくないからって、急に「今日から認知症です!」となるような病気ではないのに、どのタイミングで安楽死するつもりなのかと呆れてしまうようなコメントもあります。

もしも、「積極的安楽死」が正当化された場合、このようにある程度の年齢になったら安楽死しないといけないと考えてしまう人がいるかもしれません。これは、安楽死という名の「殺人」ですよね。こういうふうに本人の意思を無視して安楽死させられるなんて恐ろしいです。

まとめ

「安楽死」についての意見はたくさんあります。しかし人の命の問題です。内容を深く知らないで軽々しく意見するのは如何なものかと思います。(という私も、この記事を書くにあたって初めて知ったこともあります。)メディアなどで「安楽死」のことを議論するときは、数分のニュースみたいに短くしないで、長尺で議論してもらいたいです。


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